晴れの日や雨の日

約10年ぶりの父親はどんな姿、顔つきをしているだろう。
生き別れたままでもかまわないと思っていた父親。

自分の中で、あの人に対してもうあんまり言いたい事もなくなっている。

でもそれなりの年齢になると、父親が突然いなくなった事を想定すると確認しておかなくてはいけないことがたくさんある。

車内で目の前に座っている学生2人組はケタケタと楽しそうに会話している。

20年ほど前は自分もそんな風にお気楽だったかな?
そんな風に見えている事もあれば、その頃抱えていた家庭環境の悩みでドンヨリしていたこともあったな。

人生は進む。

一方向にしか進まない。

みんな老いていく。
今もまだ若い方だ、とは思う。
でも本当の若者と比べるとずいぶん色んな事を経験して知ったことも、失ったことも思い出せないほどある。

今もまだ無表情でいる自分も、能天気でアホみたいにばか笑いする自分もいる。

そして目覚めれば、晴れの日や雨の日の中を漂っている。

以前友人はこう言った。
「勉強もスポーツもできたお前がどうしてそんなに落ちぶれた?」

きっと今の姿が自分が選んできた人生の答えなのだろう。

挑戦をする選択、逃げるという選択

それらの積み重ね

年を重ねるにつれ見えていなかった風景が見えるようになってきたと思ってはいたが、予期せぬことが起きていく。

それらは運命? 必然? 試練?

結局いつも最後は自分にしがみつき、ムチ打って進む。

自分の生にしがみついている。
どんなに無表情の仮面をかぶっていても、ガキの頃に飛び回っていた自分はどこにも行かない。

 

父親を知らずに育った父親に会いに出かけよう。

親子が離れてそれぞれ抱えていた、わだかまりや葛藤を並べよう。

とりあえず旅行の土産物のマグカップを渡そう。

上部へスクロール